プロフィール
新関さとみプロフィール
山形県は、東北地方の日本海側に位置しています。そして、私の住む山形市は、蔵王、鳥海、吾妻、飯豊、朝日、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)等の山々に囲まれた村山盆地に位置しています。一つの県だけを流れる川としては日本一長い母なる川「最上川」が山形県内各地に自然の恵みをもたらしています。さくらんぼ、ラフランス、食用菊の出荷量は日本一。ぶどうは、日本で三番目。また、おいしい米の産地としても有名です。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉は「閑かさや岩にしみいるせみの声」を詠んだ「奥の細道」の全行程156日のほぼ三分の一にあたる43日間を山形県で過ごしたと言われ、昔からこの「出羽路」は日本人の心のふるさとだったのでしょう。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉は「閑かさや岩にしみいるせみの声」を詠んだ「奥の細道」の全行程156日のほぼ三分の一にあたる43日間を山形県で過ごしたと言われ、昔からこの「出羽路」は日本人の心のふるさとだったのでしょう。
春野菜が出てきます。冬中、待ちわびていた味です。桜を初め、さくらんぼや桃の色とりどりの果樹の花々が一斉に咲きほこり、まるで桃源郷。でも、夜の風は怖い。田んぼの中の我が家は、飛ばされそうな勢いです。
山形市は盆地なので、むし暑い。昼ご飯に食べる水ご飯となす漬けは最高です。そして、稲の青々しさが、風にそよぎ美しい。
さくらんぼ、すもも、桃、すいか、メロン、おいしい果物一杯。
さくらんぼ、すもも、桃、すいか、メロン、おいしい果物一杯。
黄金に輝く稲穂。これぞ、米どころ山形。
ぶどう、梨、ラフランス、りんご。まだまだおいしいもの一杯。
陽も短くなり、日に日に寂しくなります。
ぶどう、梨、ラフランス、りんご。まだまだおいしいもの一杯。
陽も短くなり、日に日に寂しくなります。
水道の水も凍る様な日に、越冬用青菜漬け(せいさいづけ)の漬け込み。
このつらさがないと、おいしい青菜漬けが食べられない。
毎日の雪はきがつらい日々。今年も大雪かな・・・。屋根の雪が心配。
このつらさがないと、おいしい青菜漬けが食べられない。
毎日の雪はきがつらい日々。今年も大雪かな・・・。屋根の雪が心配。
おいしいお漬物を作るために、素材にこだわっています。
「野菜は買って食べる生活」をしていた私が、「野菜は作って食べる」この山形市大曽根地区古館に嫁いで本当にカルチャーショックを受けました。新鮮な野菜には、その野菜本来の味が生きているのです。「とうもろこしは、朝どりをすぐゆでないと甘みがなくなる。」などこの地では当然のことを、全く知らなかった私。
野菜の旬さえもよく理解していませんでした。そんな私だからこそ、この野菜のおいしさに感動したのだと思います。
素材が新鮮でないと、本当においしい漬物は出来ません。なす・きゅうり・大根・青菜などの主な野菜は、信頼できる農家の方に委託栽培し、安心安全で、新鮮で味のいい野菜のみを使っています。また、私も義母や生産者に野菜作りも教わっています。
この野菜があるからこそ、尚一層おいしいお漬物になるのです。
「野菜は買って食べる生活」をしていた私が、「野菜は作って食べる」この山形市大曽根地区古館に嫁いで本当にカルチャーショックを受けました。新鮮な野菜には、その野菜本来の味が生きているのです。「とうもろこしは、朝どりをすぐゆでないと甘みがなくなる。」などこの地では当然のことを、全く知らなかった私。
野菜の旬さえもよく理解していませんでした。そんな私だからこそ、この野菜のおいしさに感動したのだと思います。
素材が新鮮でないと、本当においしい漬物は出来ません。なす・きゅうり・大根・青菜などの主な野菜は、信頼できる農家の方に委託栽培し、安心安全で、新鮮で味のいい野菜のみを使っています。また、私も義母や生産者に野菜作りも教わっています。
この野菜があるからこそ、尚一層おいしいお漬物になるのです。
安心安全な野菜たち
自分の手で育てた野菜はとっても愛しい。
私が嫁いだのは山形市西部の田園地帯にある醤油屋でした。義母は、「漬物名人」で、近所の方から分けてもらった大量の季節の野菜を瞬時にしておいしいお漬物にしてくれ、私はその手際の良さと味にいつも感心していました。
旬の漬物が食卓に出ると、主人は「うまい。やっぱり、母ちゃんが作るこの漬物最高だな~」と漬物に季節を感じ、これが山形の食文化なのだと実感しました。子どもが生まれたのをきっかけに、今度は私がこの味を受継いでいかなければと思い、義母から少しずつ漬け方を教えてもらう様になり、いろんなコツがあることにびっくりしました。
この「家庭で漬物をつける古き良き伝統」を絶やしてはならないと義母と二人三脚でこの活動を始めました。漬物の勉強をしていると聞いた親戚のおばさんや近所のおばあちゃん達が「おれの漬物も覚えてくれ。誰も興味をもってくれなくて。さとみちゃんに教えたい。」といろいろ教えてくれました。
ですから、私の漬物は、私の母達、親戚のおば達、近所のおばあちゃん達、そう大曽根地区、山形市、村山地方に伝わるみんなの知恵の結集なのです。
旬の漬物が食卓に出ると、主人は「うまい。やっぱり、母ちゃんが作るこの漬物最高だな~」と漬物に季節を感じ、これが山形の食文化なのだと実感しました。子どもが生まれたのをきっかけに、今度は私がこの味を受継いでいかなければと思い、義母から少しずつ漬け方を教えてもらう様になり、いろんなコツがあることにびっくりしました。
この「家庭で漬物をつける古き良き伝統」を絶やしてはならないと義母と二人三脚でこの活動を始めました。漬物の勉強をしていると聞いた親戚のおばさんや近所のおばあちゃん達が「おれの漬物も覚えてくれ。誰も興味をもってくれなくて。さとみちゃんに教えたい。」といろいろ教えてくれました。
ですから、私の漬物は、私の母達、親戚のおば達、近所のおばあちゃん達、そう大曽根地区、山形市、村山地方に伝わるみんなの知恵の結集なのです。
新関さとみ(にいぜき さとみ)
さとみの漬物講座企業組合 理事長
〒990-2374 山形市大字古舘31番地
TEL&FAX:023-643-2513
山形市農業委員
山形県生活研究グル―プ所属
さとみの漬物講座企業組合 理事長
〒990-2374 山形市大字古舘31番地
TEL&FAX:023-643-2513
山形市農業委員
山形県生活研究グル―プ所属
- 横浜市に生まれる。父のUターンのため、山形県天童市に移転。山形県立山形西高等学校卒業。清泉女子大学スペイン語学科卒業。大学、OL時代を東京で過ごし、28歳の時、Uターン。平成7年山二醤油醸造に嫁ぐ。
- 平成12年より漬物の販売を始め、平成13年秋より、ケーブルテレビ山形にて「さとみの漬物講座」を放映。番組で紹介した漬け物は約80アイテムにのぼる。
- 平成15年8月に県知事の認可を受けて、法改定後県内第一号の、女性だけの企業組合を義母、伯母、実母と共に立ち上げる。
- NHK視聴者会議の委員任命。
- 平成17年11月、「さとみの漬物講座」レシピ本発刊、初版3000部半年にて完売のため、増刷。伝統的なものから新感覚なものまで、少人数の家庭でも食べきれる量の四季折々のレシピが大好評を得る。
- 平成19年10月 全国商工会議所女性会「第6回 女性起業家大賞」特別賞受賞。
東北では唯一の入賞者となる。漬物事業の総合化を評価された。 - 平成20年2月よりNHK総合テレビ「情報パレット」の「楽々クッキング」にレギュラー出演。
「さとみ流簡単お漬物」で簡単漬物の紹介。 - 平成20年10月 山形県男女共同参画社会づくりチャレンジ賞を受賞。
- 平成21年4月より河北新報「フード風土」コラム開始。食について、1年間連載。
- 平成21年よりNHK第一ラジオ「東北朝いちばん」の地域レポーターで、山形の話題を届ける。現在も継続中。
- 平成21年8月PHP研究所より「ビニール袋で手早くできる!野菜のうまみが活きる漬け物」全国発売!漬け物王国山形を全国に発信。初版2ヶ月にて完売。増刷を重ねる。(16刷 平成29年3月現在)
- 平成22年4月より、NHK総合テレビ「情報パレット」の月曜コーナー「しあわせレシピ」にレギュラー出演。「シャカシャカっとお漬物」で月2アイテムの漬物を紹介。
- 平成22年3月より山形県産業構造審議会委員に任命。現在も継続中
- 平成22年6月内閣府、男女共同参画女性のチャレンジ賞受賞 全国で4人の中に選ばれる。首相官邸にて表彰式。
- 平成22年12月より、毎日新聞社「とうほく彩発見」に山形県人としてコラム開始。現在も継続中。
- 平成22年12月より二期目の山形県産業科学館運営協議会委員を務める。現在も継続中
- 平成23年8月より山形市農業委員会委員を務める。現在も継続中。
- 平成24年4月より、NHK総合テレビ「ひるはぴ」の月曜コーナー「簡単お漬物」にレギュラー出演。
- 平成24年4月より山形市働く女性の家運営委員会委員を務める。現在も継続中。
- 平成24年4月より山形県家庭教育推進事業の家庭教育アドバイサーを務める。
- 平成24年8月10日PHP研究所より「おかずに美味しい 田舎ごはん」レシピ本第三弾全国発売!漬物分野から郷土料理に広げたレシピ満載。
- 平成24年6月より山形県中小企業団体中央会の理事を務める。現在も継続中。
- 平成25年6月より山形県国際交流協会の理事を務める。現在も継続中。
- 平成26年10月全国中小企業団体中央会の「組合功労者賞」受賞。
- 平成30年4月より山形県社会教育委員を務める。
- 平成30年12月山形県商工観光功労者(商工事業)表彰
- 平成30年4月より農業共済新聞にて「簡単彩り漬物」コラム執筆。
さとみマークの秘密
さとみマークのモデルは...
もちろんわたしです。漬物を製造販売したのが、2001年(平成13年)春。私の漬物が産直所で目立つ様にと、イラストのシールを作り張ることを考えつきました。その頃は、あまりこのような事をする人が少なかったことと、若いおかあさんがお姑さんに教えられ、作っていることもアピールしたかったのでした。
その時に出したのが、この写真。子育てまっただ中で、出産後カットする時間が取れずに、髪が伸びきってしまいました。子供をおんぶしながら仕事をしていたので、赤ちゃんの顔にかからない様に、おさげにしていた私がモデルなんです。
ロゴの作成中に髪を切ってしまったのですが、あまりにもかわいい出来だったので本人と違うけどまあいいかっと使いました。お陰様で産直所でも商品の差別化が出来、売れ行きにも貢献してくれました。
2001年(平成13年)秋のケーブルテレビ山形の「さとみの漬物講座」撮影の時、「やはりこの髪型にした方がいいですか。」ってスタッフに聞いてはみたものの物理的に無理だったので、洋服だけ赤のTシャツに白のエプロンで登場しました。
さとみのロゴの「旬」(しゅん)の文字は旬の素材を漬けるという意味が含まれています。
それともうひとつ秘密があります。実は左の私の抱いている息子の名前が「しゅん」っていうんです。字は違いますけどね。
そして、さとみのロゴ制作から早13年。年も取ったし、髪型ももう絶対に戻れないし、新しいロゴを作ろうかと思いました。でも、私が手作りの漬物の製造販売、そして家庭でも漬け方をお伝えする漬物講座を始めたのは、「息子に安心安全で愛情いっぱいの手作りの漬物を食べさせたい。」という思いがきっかけでした。この原点を忘れてはいけないと皆さんにも親しまれているこのイラストを使い続けることにしました。
2014年春、少しだけかわいくプチリニューアルした「さとみ」をこれからもよろしくお願いいたします!
「さとみの漬物講座」 名前の由来
サイト名、会社名が「さとみの漬物講座」という一見変わったネーミングですよね。よく、「なぜ?」と聞かれます。これは、私が最初にレギュラーとして出演した漬物作りを紹介するテレビ番組が「さとみの漬物講座」だったからなのです。2002年10月より通算6年程、ケーブルテレビ山形で放映されました。私の原点となった番組名。せっかく知名度があるのでと、サイト名にし、その後2005年8月会社設立時、会社名にしたのです。電話にて会社名を名乗ると、受け取った方から必ず聞き返されてしまいます・・・。
「さとみの漬物講座」から 「さとみの漬物講座、味噌講座」までのストーリー。
まだ新米の嫁だった私が、義母から漬物作りを学んだきっかけ。それは、夫が義母の漬ける漬け物をおいしいと言う様に、生まれたての小さな男の子からいつか「ママの漬ける漬け物が一番だ。」と言われたいという一心でした。
義母からの教えのお陰で、わたしさえも漬けられる様になったので、一人で多くの人にこの素晴らしい知恵を伝え、家庭で漬物を作るこの山形の伝統文化が継承出来る様に漬物講座を始めたのが、2001年の秋の事でした。
漬物講座で各地を歩くようになると、「あなたの家は、醤油・味噌の醸造元ですよね。私、醤油も作ってみたい。」「味噌も作ってみたい」とのお話を頂くようになりました。醤油は残念ながら、きちんとした工程があり、設備も必要なので、講座にはなりません。でも、味噌ならほんの20~30年ほど前はどの家庭でも、小屋に味噌桶があったことから、「もしかしたら、講座になるかも。」と思い、数年試作をしながら、構築し2004年の冬より味噌講座も始めました。
「さとみの漬物講座」のサイトを立ち上げたのが、2002年。会社を設立したのが、2005年。先行していた漬物講座に追いつけ追い越せで、今では味噌講座がかなり人気の講座になってきました。「漬物は食べるのが好き。でも、作らなくていい。」方が多く、でも味噌は、「自分で作れるのなら一度は作ってみたい。」「一度作ったら、手作りの味噌の味わいに病み付きになった。毎年参加して、我家の味噌を確保したい。」という層が老若男女であったことに、私どももびっくりしました。
そんな訳で、サイトの名前も、より親しみをもって頂ける様に、「さとみの漬物講座・味噌講座」とさせて頂きました!
もちろんわたしです。漬物を製造販売したのが、2001年(平成13年)春。私の漬物が産直所で目立つ様にと、イラストのシールを作り張ることを考えつきました。その頃は、あまりこのような事をする人が少なかったことと、若いおかあさんがお姑さんに教えられ、作っていることもアピールしたかったのでした。
その時に出したのが、この写真。子育てまっただ中で、出産後カットする時間が取れずに、髪が伸びきってしまいました。子供をおんぶしながら仕事をしていたので、赤ちゃんの顔にかからない様に、おさげにしていた私がモデルなんです。
ロゴの作成中に髪を切ってしまったのですが、あまりにもかわいい出来だったので本人と違うけどまあいいかっと使いました。お陰様で産直所でも商品の差別化が出来、売れ行きにも貢献してくれました。
2001年(平成13年)秋のケーブルテレビ山形の「さとみの漬物講座」撮影の時、「やはりこの髪型にした方がいいですか。」ってスタッフに聞いてはみたものの物理的に無理だったので、洋服だけ赤のTシャツに白のエプロンで登場しました。
さとみのロゴの「旬」(しゅん)の文字は旬の素材を漬けるという意味が含まれています。
それともうひとつ秘密があります。実は左の私の抱いている息子の名前が「しゅん」っていうんです。字は違いますけどね。
そして、さとみのロゴ制作から早13年。年も取ったし、髪型ももう絶対に戻れないし、新しいロゴを作ろうかと思いました。でも、私が手作りの漬物の製造販売、そして家庭でも漬け方をお伝えする漬物講座を始めたのは、「息子に安心安全で愛情いっぱいの手作りの漬物を食べさせたい。」という思いがきっかけでした。この原点を忘れてはいけないと皆さんにも親しまれているこのイラストを使い続けることにしました。
2014年春、少しだけかわいくプチリニューアルした「さとみ」をこれからもよろしくお願いいたします!
「さとみの漬物講座」 名前の由来
サイト名、会社名が「さとみの漬物講座」という一見変わったネーミングですよね。よく、「なぜ?」と聞かれます。これは、私が最初にレギュラーとして出演した漬物作りを紹介するテレビ番組が「さとみの漬物講座」だったからなのです。2002年10月より通算6年程、ケーブルテレビ山形で放映されました。私の原点となった番組名。せっかく知名度があるのでと、サイト名にし、その後2005年8月会社設立時、会社名にしたのです。電話にて会社名を名乗ると、受け取った方から必ず聞き返されてしまいます・・・。
「さとみの漬物講座」から 「さとみの漬物講座、味噌講座」までのストーリー。
まだ新米の嫁だった私が、義母から漬物作りを学んだきっかけ。それは、夫が義母の漬ける漬け物をおいしいと言う様に、生まれたての小さな男の子からいつか「ママの漬ける漬け物が一番だ。」と言われたいという一心でした。
義母からの教えのお陰で、わたしさえも漬けられる様になったので、一人で多くの人にこの素晴らしい知恵を伝え、家庭で漬物を作るこの山形の伝統文化が継承出来る様に漬物講座を始めたのが、2001年の秋の事でした。
漬物講座で各地を歩くようになると、「あなたの家は、醤油・味噌の醸造元ですよね。私、醤油も作ってみたい。」「味噌も作ってみたい」とのお話を頂くようになりました。醤油は残念ながら、きちんとした工程があり、設備も必要なので、講座にはなりません。でも、味噌ならほんの20~30年ほど前はどの家庭でも、小屋に味噌桶があったことから、「もしかしたら、講座になるかも。」と思い、数年試作をしながら、構築し2004年の冬より味噌講座も始めました。
「さとみの漬物講座」のサイトを立ち上げたのが、2002年。会社を設立したのが、2005年。先行していた漬物講座に追いつけ追い越せで、今では味噌講座がかなり人気の講座になってきました。「漬物は食べるのが好き。でも、作らなくていい。」方が多く、でも味噌は、「自分で作れるのなら一度は作ってみたい。」「一度作ったら、手作りの味噌の味わいに病み付きになった。毎年参加して、我家の味噌を確保したい。」という層が老若男女であったことに、私どももびっくりしました。
そんな訳で、サイトの名前も、より親しみをもって頂ける様に、「さとみの漬物講座・味噌講座」とさせて頂きました!